20代後半になり、行動の選択や思想にかなり自由度が出てきたと同時に、
自己暗示で貼ったもしくは誰かに貼られたレッテルが剥がれてきていることにふと気付く
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結論から述べると、私は「協力」が壊滅的に苦手(だと分かった)
- 誰かと手を取り合い何かを成し遂げようと努力するのが超苦手
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協力する気が無いわけでは決してなく、協力しようと頑張ることはできる
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しかし「協力しなければならない何か」において、良い結果を残せたことがまるで無い
- メタ的な観点から見てもそうなのだと思う
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しかし「協力しなければならない何か」において、良い結果を残せたことがまるで無い
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逆に、黙々とひとりで取り組めることにおいては公私共に非常に高いパフォーマンスを維持できている
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仕事
- 思えば個人で完結できるように仕向けたり、システム化して落とし込んだりしている
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筋トレ
- 言わずもがな
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ゴルフ
- 言わずもがな
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ゲーム
- 非協力型コンテンツでは総じて上位層に食い込む成績を残せている
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ピアノ
- 多分連弾は苦手だと思う
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仕事
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何故、協力が苦手だと気付くのが遅れたか
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学生時代のレッテルや当時やっていたスポーツ(野球)が原因だと思われる
- みんなで○○をしましょう
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ひとりで違うことをしてはいけません
- これは今思えば一種の洗脳に近いものがあるかもしれない。そういうものと思って特に違和感を感じていなかったので、当時はストレスが無かった
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野球についてもそう
- 9人いないとできないのだが、「静」と「動」を繰り返す特性があり、その点で「一部協力しなくてもよい(できない)」箇所があった
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各個人がパフォーマンスを発揮することで「協力しているように見える」スポーツである
- だが、試合では一個人のパフォーマンスが落ちるだけでチームが負ける、という現象が往々にして発生する
- それをどうにかこうにか防ぐ、ミスを補うという点では協力と言える
- サッカーやバスケットボールと異なり、流れるようにかつ当たり前のように協力しなくてもギリギリなんとかなっていたため、違和感として顕現するまでに長い時間を要した(結局のところ辞めるまで分からなかった)
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学生時代のレッテルや当時やっていたスポーツ(野球)が原因だと思われる