最近Suno.ai等のAI作曲ツール(と呼んで良いのか)がアツいですよね。
昨年あたりからトレンドになりつつあったものの、
今年後半のアップデートでいよいよクオリティがプロに並ぶか、はたまた、というところまで来ている感じ。
私も実際に課金して「私だったら聞きたい曲」を追求する楽しさを見出しているところです。
で、生成した曲はSpotifyやYoutubeなどに気軽に配信できるようで、
再生数が伸びればお金も稼げるぜ、という夢のような状態になっているらしい、と。
いやほんと、素晴らしい時代になりましたねえ。
著作権だなんだと色々騒がれてはいるようですが、以前どこかで書いた通り、
AIという大きな流れは絶対に誰にも止められないので、
音楽分野についても実質的な黙認という形で落ち着いていくのは時間の問題でしょう。
現にプログラム生成、エンジニアリングはそんな感じになってますよね。
「95%をLLMで実装しました!」なんて謳っているサービスも最近出たりしていますが、
だからといって権利がどうだこうだとか言う人はほぼいなくなりました。
主張することに意味が無いと分かったからです。
限られた人生の中で、終わりがないイタチごっこなんて本当は誰もしたくないんですよね。
さて、音楽の話に戻りますが、現時点で私の考える懸念点について書き示しておきます。
ずばり「”違和感”によるプラットフォームの汚染」です。
これを説明するために、また少々脱線させてください。
音楽そのものを紐解いていくと「音楽理論」に辿り着きます。
ですが実は、”理論”という堅苦しい名前こそついているものの、
この音にはこの音を絶対に合わせなくてはならない、というような決まり事が100%定められているわけではないんです。
厳密には、絶対にこうである!といういわば天動説VS地動説に近い宗教的なムーブメントが存在した時代もあります。
現代でもジャズとクラシックのように、理論だけで捉えると真逆のことをやってるぜ、みたいな話もあるにはあります。
詰まるところ、歴史を辿れば紀元前から理論の原型と思わしきものが存在していたにもかかわらず、
現代に至っても音楽というのは未だに人間の感覚を頼りに理論が構築されている部分が多いセンシティブな領域なんです。
そのため音楽理論は今も完成しておらず、議論が続いています。
ここでは、本題である「違和感」を
その音の組み合わせは変じゃない?とか、ちょっと耳障りだよね、というような感覚と定義します。
分かりやすく例えるかつ、よく聞く単語で言うと「不協和音」とか、そんなところでしょうか。
ピンと来た方もいるかもですが、私は
音楽経験が乏しい人がAIで曲を作ったとして、
同時に生成されたかもしれない”違和感”に果たして気付けるか?
これを疑問視というか、懸念しています。
実は私は小さい頃からピアノを習っていまして、絶対音感、相対音感を持っています。
性能の良いAIでも局所的に違和感があるような曲を出してくることがありますし、私にはそれが分かります。
タチが悪いのは、全体がおかしいとかそういう感じではなくて、
小節の変わり際や、ちょっとしたピアノの単音、和音とかの細かいところで、
「いやこの流れってか進行でその音はいくらなんでも出さないし、あえて外すにしてもやり過ぎでは…?」
なーんてところが時折あることです。
プログラム生成の場合って、ちょっと違う気がする、、という感覚は
エラーという結果に表れるのである程度フィルターが掛けられるのですが、
音楽にはそれが無い。
「多分間違っていないよね」という判断を、1から10まで人間が下す必要があるんです。
本来音楽は自由であるべきだし、何かに縛られて作るものではないというのがもちろん大前提にはあるのですが、
その制約の緩さとAIが掛け合わされたら、市場に混乱を招くのではないか?と、私は考えています。
AIを使った作曲自体を否定しているわけではありません。
別にこれまでだって、コード理論が分からなくても曲は作れるし、ジャズ理論を履修しなくたってジャズは作れました。
でもそれば頑張って作ろうとすれば、であって、それなりに時間と労力が掛かっていました。だから問題無かったんです。
これが誰でもワンクリック、加速度的に市場に溢れていくとなると、
クリエイターの”意図”とリスナーの”期待/反応”が、互いに想定しない方向に働いてしまう…という事態が間違いなく可視化されると思います。
私はそれを「汚染」と定義しています。